式内 重浪(しぎなみ)神社
概 要
社号 式内社 但馬国城崎郡 重浪神社
読み:古 カサナミ、現 しぎなみ
所在地 兵庫県豊岡市畑上字宮843
旧地名 但馬国城崎郡田結郷波多村
御祭神 物部韓国連神津主命(もののべからくにのむらじかみぬし)
『国司文書 但馬神社系譜伝』 物部韓国連神津主
例祭日 10月15日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
城崎郡[キノサキ]:21座 大1小20
近代社格制度 旧村社
創建 推古天皇25年12月創祀
本殿様式 流造 柿葺
境内摂社(祭神)
稲荷神社・山神社・四社惠神社・丹生神社・祇園神社
宇賀神社・秋葉神社・山野口神社
一口メモ
畑上は、秦氏と関係あるのだろうか。気比といい、赤石といい、伽耶渡来人に関係ありそうな地名が多く、興味があります。裏山に小さなイノシシが2頭いたのでびっくりした。
歴史・由緒等
由 緒
社伝によると推古天皇25年(617)12月、物部韓国連神津主命が城崎郡司となり、その父・物部韓国連墾磨命を墾谷丘の物部の宮に祀った。
天武天皇白鳳3年(675)6月久久比命が城崎郡司となり、その父・楮主(かみつ)命を敷浪の丘に葬り祠を建てて祀ったとき、共に祭祀を受け、重浪神社と称したという。
よって重浪は、敷浪(しきなみ)の転訛ということになる。
一説には、往古は湖水滔々として、社近くまで水に浸り、浪が寄せていた場所と云われ、境内に御船岩のある由縁とも。
この御船岩は磐境であり祭神が天降りましし時、ここに船を繋いだという。
よって、この磐を天磐船と考え、但馬国造の祖である饒速日命を祭神とする説もある。
-「兵庫県神社庁」-
『国司文書 但馬故事記』に、
重浪神社 城崎郡波多村鎮座
祭神 物部韓国連神津主命
人皇四十代天武天皇の白凰三年夏六月、物部韓国連神津主の子 久々比命をもって、城崎郡司となす。久々比命は神津主命を敷浪丘に葬る。
この時大旱(ひでり)により、雨を小田井県宮に祈り、戎器(じゅうき)*を神庫に納め、初めて矛立(ほこたて)神事を行う。また水戸上神事を行う。後世これを矛立神事・河内神事と称し、歳時これを行う。(図:小田井県神社に現存)
*戎器 戦争に使用する器具・器械。刀剣・銃砲・爆発物の類。
『国司文書 但馬神社系譜伝』に、
人皇四十代天武天皇の白凰三年夏六月、これを祀る。
境内・社叢
社頭 両部鳥居
手水舎 割拝殿
本殿覆屋 右手に境内社
八社 左から、稲荷神社、山神社、四社惠神社、丹生神社、祇園神社、宇賀神社、秋葉神社、山野口神社 社殿左手に御船岩
地名・地誌
畑上
『国司文書 但馬郷名記抄』第五巻 城崎郡郷名抄
餘戸郷
令条に定むるところの数に余りあり。故に余部という。
墾谷(ハリダニ)・機紙(ハタカミ)村・御原(ミハラ)村(省略)
『国司文書 但馬故事記』に、
重浪神社 城崎郡波多村
倭名抄
餘戸
但馬考が云うには、餘戸は詳しく分からず。田結郷の所のまま。
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